はじめまして!
みゆき です。
プロフィールをご覧いただき、
ありがとうございます。
このブログでは、
・今のあなたが持っている武器で、すぐに収入を作る方法
・自分の武器を見つけて、自分の力で稼いでいく方法
・あなたの得意が誰かの役に立つ理由
・田舎に住む主婦でもできた副業
など、自分の強みを見つけて、自分に合った仕事を
楽しく続ける方法等をお伝えしていきます。
私は、2人の子供を持つ、40歳の主婦です。
今は一家の大黒柱として仕事をしています。
私、仕事をすることが大好きなんです。
独身時代は、帰宅が0時になったり、早朝6時に出社したり
することがあっても、自分が納得いくまで
仕事に取り組むことができていました。
ところが結婚し、子供が生まれてからは、
子供や家庭を優先しなければならなくなりました。
家庭と仕事の両立に悩み続ける日々。
家庭と仕事を両立できる、理想の勤務条件の職場を探して
転職を繰り返すことに。
どうやったら、家庭も仕事も犠牲にせず働くことができるの?
と、ずっと悩んでいました。
そんな風に悩んでいた私が、
・楽しいと思える仕事へ年収アップでの転職に成功。
・さらに副業でネットビジネスに挑戦し、自分の力で稼ぐことにも成功。
・とうとう一家の大黒柱として家族を支えることに。
という状況に変わりました。
家庭と仕事の両立に悩むこともなくなりました。
毎日が楽しくて、充実しています。
ここからは、私の人生を少し振り返りつつ、
どうして現在のような私になれたのかを、お話ししていきたいと思います。
これまでの私の人生
人見知りで大人しい、目立たない子だった
私は小さい時から人見知りでした。
幼稚園では、お友達の輪の中にどうやって入ったら良いかが分からず、
いつも部屋の隅っこに座っていました。
小学校に入っても、仲の良い友達は片手で数えるほど。
目立たない、地味な子供でした。
さらに中学時代は、学年全体から無視されるという経験をしました。
(なんでそんなことになってしまったのかは、
こちらの記事に詳しく書いています→姉御肌のルーツ)
ちょっと辛かった中学時代でしたが、
高校へ入ると気の合う友人がたくさんでき、
とても楽しい3年間を過ごしました。
そして親元を離れ、県外の大学へ進学。
大学時代も、とにかく楽しい日々でした。
特にアルバイトでは、新しく入ってくるバイト生たちの
教育を任されることが増え、
人見知りだとか言っている場合じゃなくなり、
初対面の人とも会話ができるようになりました。
アルバイトの経験から、
お客様にありがとうって言ってもらえる瞬間って
最高に嬉しいな。
ありがとうって思ってもらえる仕事をしたいな。
と思うようになりました。
この体験を元に、接客業を中心に就職活動を行い、
地元で80ぐらいの店舗を持っていたスーパーマーケットへ、
正社員として入社します。
母親は昇進できない、という現実
スーパーマーケットに入社した私は、
日々、様々なお客様の対応をしていました。
大変なこともたくさんあったけど、接客の基礎や
お客様が何を望んでいるのかを考えて対応する、
ということを学べた職場でした。
入社して3年経った頃、主任として別の店舗へ異動してくれ、
という辞令が出ました。
そして、この主任昇格と同時に、
同じ会社に勤めていた主人と結婚しました。
シフト制で不規則な休み。
立場上、残業で遅くなることもある。
こんな状況でしたが、主人も同じ会社に勤めていたので
状況を理解してくれており、何の問題もなく働くことができていました。
最初は小さな店舗での主任でしたが、
1年後に近隣の大きな店舗へ主任として配属され、
さらにやりがいを感じて、一生懸命働いていました。
パートさんやアルバイト生数十人を束ねる立場でしたが、
幸いにも大きな揉め事も無く、大変ながらも楽しい毎日。
次の目標として、地域の数店舗をマネジメントする
エリアマネージャーになりたい、と思っていました。
実際に、次はそのポジションねと上司から言われていて、
私はワクワクしていたんです。
このまま頑張っていけば、どんどん昇進していける、
そう思っていました。
ところがこの思いは、出産を機にガラガラと崩れます。
出産をすることで
昇進が止まってしまうという現実を知ったからです。
結婚から2年が経つ頃、第一子を妊娠しました。
育児休暇復帰後も、元のように主任職で働けると思っていました。
でも、実際は主任職には戻れず。
社内をよくよく見てみると、出産後に主任職に戻っている人は
一人もいない状況でした。
さらには、どんなに優秀だった人でも、
その後主任職には戻れていないという現実。
エリアマネージャーだった人も、
出産をしたらその職から外され、戻れていませんでした。
昇進していっているのは、独身の人だけ。
主任の次はエリアマネージャー、さらにその次はエリア長に。
そんな風に目標を定めていた私には、
この現実は絶望でしかありませんでした。
一方、その頃主人は昇進して、
エリアをまとめるポジションになりました。
2人の子供なのに、我慢するのは私だけなんだ。
私は昇進していく可能性が限りなくゼロになったのに。
男性って、キャリアに何の影響もなくて、
なんなら家庭のことも気にせず仕事も思う存分できて、いいよね。
と、かなり卑屈になっていました。
でも、悔しかったんです。
私だけ仕事をセーブすることになったことが。
母親になったんだから、仕方がないんだ。
私はお母さんなんだから。
そう思うしかありませんでした。
何のために仕事してるの?
そして今でも忘れられない出来事があります。
それは育休から復帰して3日目のこと。
朝起きると、子供が元気がない・・・。
体も熱い・・・。
まさか・・・。
そう思って体温を測ると、38度超えの熱がありました。
初めての発熱。
とりあえず、仕事には行けないので、
職場に休ませてほしいと連絡を入れました。
病院に連れて行って、一日看病して。
夕方には熱も引いて、子供も元気になったので一安心。
次の日私は出勤してすぐ、店長と主任に、
「休んで申し訳ありませんでした。」
と謝りました。
店長は、「仕方がないよね、子供さん大丈夫?」
と言ってくれましたが、
主任(子持ちの女性)からは、開口一番
「突然休まれると困るんだけど」
と言われました。
・・・え?
ちょっと頭が真っ白になる私。
なになに。ちょっと待って、怒られてる?
「あなた、社員でしょ。子供が悪いとかいう理由で休まないで。
今後、二度とそういう理由で休まないでね!」
と言われました。
これだけ言って、主任は部屋を出て行ってしまいました。
言われた後、我が子が初めて熱を出して苦しそうだった姿。
どうしよう、と焦った自分のこと。
職場に迷惑をかけることは痛いほど分かっていた。
本当に申し訳ないと思いながら、震える手で電話を握り、
緊張しながら休みの連絡を入れたこと。
休んだ時の光景や気持ちが頭に浮かんできて、
涙が溢れてしまいました。
私だって、休みたくて休んだんじゃない。
でも、高熱を出している我が子を、誰が病院に連れて行くの?
ズル休みしたわけでもないのに、なんでこんな風に言われるの?
私はどうしたら良かったの?
悔しかった。
悔しくて涙が溢れました。
ロッカールームで少しだけ泣いて、気持ちを整えて、
売り場へ。
この時のことは、11年経った今でも
鮮明に覚えています。
集団生活を始めたばかりの子供は、
やはり頻繁に熱を出しました。
でも仕事を休むなと言われていた私は、
隣の市に住んでいる実母に看病に来てもらい、
出勤していました。
主人は、「俺は仕事休めないから」と、
休んで子供を看る気も無い。
母の子供じゃないのに。
私とあなたの子供でしょ。
主人は休んで看病してくれない。
でも、私も休んでしまったら仕事を続けられなくなる。
だから、いつも母には申し訳ないと思いながら
子供を預けていました。
さらに、土日祝日も社員は一切休みはもらえず、
ずっと勤務が入っていました。
日曜と祝日は保育園もお休みのため、
やはり実家に協力してもらい、子供を預かってもらっていました。
復帰して数ヶ月すると、
遅番のシフトに入って、と言われました。
遅番のシフトは、勤務終了が19時とか20時。
繁忙期は21時などです。
もちろん、保育園のお迎えに行けません。
またしても実母に頼まなければならなくなりました。
こんな状況が続き、半年経ったころ、
一体私は何をしてるんだろう
と思うようになりました。
ここまで実家に迷惑をかけて、それでもこの仕事をやっていくの?
子供と触れ合える時間もほとんどない状況がずっと続くの?
こんな風になりたくて、復帰したわけじゃない。
新卒で入社して楽しかった仕事でしたが、
私は転職することを決めます。
家計のために、私も働く必要がありました。
何より、私自身が仕事をすることが好きだから、
仕事は続けたいと思っていました。
でも、家庭も大事。
土日祝日は休みで、子供が病気の時は休ませてもらえる職場。
その条件のみで次の仕事を探しました。
家庭と仕事の両立を目指して、新しい仕事へ
その次に就いた職場は、コールセンターでした。
念願の土日祝日休みの会社。
子供が病気の時も、快く休ませてもらえました。
ただ、この職場は10ヶ月くらいで退職してしまいます。
そもそも、私は電話が大嫌いなんです。
・・・・おい!!とツッコミが入りそうですが。笑
条件だけで探していて、仕事内容は、
慣れればなんとかなると思っていました。
でも、そんなに甘くなかった。
やっぱり、嫌なものは嫌。
仕事内容が嫌すぎて、精神的に病みそうになったので、
本当に申し訳なかったんですが、退職することを決めました。
そして、再度職探しをします。
地方で子供を持つ主婦でも働ける仕事を、
正社員で探すとなると、本当に大変です。
なかなかそんな職場には出会えません。
そんな中、ようやく見つけた会社に採用して頂き、
働くことになりました。
この会社では、営業をしていました。
最初は営業なんてできるかな・・・
と思いながら飛び込んだ世界でしたが、
自分がやっただけ売り上げが上がることに
やりがいを感じるようになりました。
だけど、業績が伸びてくると、忙しくなって
帰りが遅くなることが出てきたり。
休日でも仕事の連絡が入ったり、
お客様の都合で出ていかなければならなかったり。
結局は、また家庭との間で悩むことになるのです。
仕事にやりがいを感じ、一生懸命やればやるほど、
結局犠牲になるのは子供。
家庭を大切にしようとすると、
やりがいも何も感じない仕事をするしかない。
仕事ってそういうもんだ。
子供を持ちながら働くって、そういうもんだよな、
と自分に言い聞かせていました。

第二子出産。さらに両立に苦しむことに。
上の子が5歳の時に、下の子を出産しました。
ところが、ここで予想外のことが起きます。
第二子は、心身に重度の障害がある子だったのです。
(次女のことについては→うちの次女は重度心身障害児で
詳しく話しています。)
それまで、実家に子供を見てもらうことで、
なんとか正社員として働くことができていました。
しかし、障害のある子どもの面倒を両親にお願いすることは
私にはできませんでした。
そうなってくると、預け先への送迎や、
熱を出した時の看病などは、すべて私が対応することになります。
週に一度リハビリを受ける必要もありました。
月に最低1度、大学病院の定期受診もあります。
(検査などが入ると、月に2~3回行くことも)
ここまで子供にかける時間が増えてくると、
いよいよ仕事を続けることが難しくなりました。
だけど、今の仕事を辞めてしまったら、
もう正社員で雇ってくれる会社なんてないし。
こんな状況でも、会社は辞めないでと言ってくれている。
雇い続けてもらっているだけで有難いことだ。
ここを辞めたら、働けるところなんてないだろう。
そう思うと仕事を辞めることもできず、
お客様とのアポイントに合わせて
主人や実母にありとあらゆることをお願いしながら、
仕事を続けていました。
今の仕事を辞めたら、収入が無くなっちゃう。
その気持ちだけで仕事を続けていました。
本当は仕事を辞めたくてたまらなかった。
働くことが大好きな私が、初めて仕事を辞めたいと思いました。
それぐらい、子供と仕事の間に挟まれて
心がすり減っていたんだと思います。
せめてお客様の都合に振り回されない仕事に就けたら。
でも、もう今さら転職も無理だ。
こんなに休まなければならない私を雇ってくれる会社なんてない。
この会社で雇い続けてもらうしかないんだ。
毎日こう自分に言い聞かせて会社へ行っていました。
次女は障害を持っているので、普通の子育てのように
しばらくすれば手が離れる、ということはありません。
つまり、ずっと今の状況が続くということ。
定年まであと20年ちょっと。
あと20年我慢し続けるのか。
正直ゾッとしました。
こんな状態のまま、あと20年も我慢しながら
この仕事しなくちゃいけないの?
ツラいなと思う毎日を過ごさなきゃならないの?
嫌だ嫌だ!!
そんなの絶対嫌だ!
どうにかして今の生活を変えたい。
そう思いました。
そんなある日何気なくネットサーフィンをしていた時に、
ある人のブログに目が留まりました。
その人は、ネットビジネスで起業している女性の方でした。
この時の出会いが、私の生活を大きく変えることになります。

自分の強みが分かっただけで・・・
その方は、自分のコンプレックスを自分自身の強みに変え、
その強みを活かしてネットビジネスをされていました。
さらにはネットビジネスで起業し、
しっかりと稼いでいる女性でした。
自分のコンプレックスが強みになるってどういうこと?
強みを活かして、自分の力で稼ぐようになるって本当かな。
会社勤めしなくても収入が得られるなんてあり得るの?
時が経つのも忘れて、この方のブログやTwitterを読みました。
自分の強みを知ったことで、劇的に人生が変わっている様を見て、
私も人生変えられるかも・・・?
と、ワクワクしました。
自分の得意を活かして仕事をすることができたら
どんなに楽しいだろう。
しかも、パソコン1台あれば、どこでも仕事ができる。
会社に雇われなくても、自分の力でお金を稼ぐことができたら、
どんなに幸せだろう。
私にもビジネスとしてやっていけそうな強みがあるのかな。
分からないけど、とにかくやってみたい!!
そう思って、この方の教材を購入してみました。
自分の今までの人生を振り返って、
努力したこと、好きなこと、勉強してきたこと、
仕事などを深堀していきました。
そうしたら、私にも強みがたくさんあったんです!
衝撃的だったのは、自分の強みを見つけたら
すぐに商品が作れて、さらにその商品がすぐに売れたこと!
その商品は、代筆サービスといって
誰かの代わりに手書きでお手紙などを書くサービス。
私は依頼者の方が用意した文章を、そのまま手書きするだけ。
これだけで3,000円の収入を得ることができたんです。
(しかも、サービス自体は1,000円なのに、
購入者の方が最後に追加支払いをしてくださって
最終的な合計金額が3,000円になったという喜び!)
何のスキルも知識も必要ありません。
今すぐに、誰にでもできる商品です。
自分の今までを振り返った時に、今までの職場で
何人かの人から
「みゆきさんの字が好きです」
と言ってもらえたことを思い出しました。
私の字は、決して上手な字ではありません。
書道の師範代でもないし、整った字でもないです。
でも、「好き」と言ってくれる人がいるってことは、
もしかしたら他にも喜んでくれる人がいるかもしれない。
そう思って、商品として売ってみることにしました。
そしたら、実際に購入してもらえて、
しかもものすごく喜んでもらえたんです!
自分の得意を知って、活かすことができる。
これだけで、本当に自分に自信がつきました。
それまで私は、「自分には何もない」
「何の価値も無い人間だ」と本気で思っていました。
でも、私にも良いところがたくさんあるんだな、と
やっと自分を認めてあげられるようになりました。
自分で自分を認めることができるようになると、
他の人の良いところもたくさん見えるようになりました。
他の人の強みも、面白いように分かるようになったんです。
職場のみんなの得意や良さも分かるから、
仕事の割り振りが上手くいって、社内の雰囲気がすごく良い。
それぞれが得意を活かして仕事をしてるから、
効率もいいし、楽しそう。
他の人の強みも見つけられることも、
私の得意なことだってことにも気付きました。
この私の強みを活かして、もっとビジネスを頑張っていこう!
そう思っていた時に、我が家に一大事が起こります。
一家の大黒柱として働くことに
それは、
主人が「仕事を辞めたい」と言ってきたこと。
以前から仕事のストレスを多く抱えていて、
辞めたいと思っていることは分かっていました。
仕事のストレスを上手く解消できず、
帰宅後もピリピリしていた主人。
ちょっとしたことで怒ったり八つ当たりをしたり。
子供も、主人の機嫌を伺うようになってしまっていて、
家庭内の空気は悪くなっていく一方。
家族のために、なんとか仕事を頑張ろう。
そう思って続けてくれている状況でした。
でも会社の方針が理解できない。納得できない。
尊敬する上司もどんどん辞めさせられたり、
辞めていっている。
主人も本部と現場の板挟みで、鬱の一歩手前まで
きていました。
毎日辛そうな主人を見ていて、
この人このまま定年まで楽しくない毎日を送るんだろうか。
そんなのツラすぎるだろう。
と思いました。
もし自分だったら耐えられない、と。
私は今まで、家族のためにとは言え、
自由に転職させてもらってきた。
副業にも挑戦させてもらっている。
私は自分の思うように行動させてもらってきた。
主人にも自由に生きてもらいたい。
俺の人生楽しい、と言って欲しい。
だから主人の背中を押しました。
「仕事、ツラいなら辞めなよ。
私がバリバリ働いていいなら、私が働く。
もっと仕事させてもらえるなら、そっちの方がいい。
副業も頑張って、私が稼ぐから。」
私がこう言った時、主人は本当に心底ホッとしたそうです。
仕事を辞めてもいい。
そう思えただけで、かなり楽になった、と。
我が家の場合、次女が障害を抱えているため、
2人ともフルタイムの正社員で働くことは無理です。
どちらかは子供や家庭のことに
専念する必要があります。
そこで2人の得意・不得意を洗い出し、
強みを活かしていけないか、話し合ってみました。
そして、
・もっと働きたいと思っている
・家族の中でもリーダーである
・大黒柱として稼いでいくことが苦痛じゃない
・実は家事が苦痛
・子供のことを思って、細かく動いてあげるのが苦手
こんな私が仕事に専念して働いて、
・子どものことを私以上に熱心に考えて動くことができる
・子供たちの送迎が苦にならない
・家事はきっとやればできる
・家庭の大事なことは嫁(私)に決定してほしいと思っている
・今後会社勤めはしたくない
という主人が家庭に入った方がいい、という結論に達しました。
こうして主人が主夫となり、家庭を支えることに。
私は一家の大黒柱として働くことになりました。
さらにこの時点で、私は会社勤めをしながら、
副業でネットビジネスをしていました。
ネットビジネスは、会社勤めをしながらでもできる。
成果を出すことができる。
もちろん、母親でも。
それを私は体験してきていたので、
正社員として働いて安定収入を得ながら、
副業でネットビジネスを頑張る。
という決断をしました。
(どんな副業をやってきて、どんな成果を出したのかはこちらから
→神様からのプレゼント、
仕入れに失敗して利益が10倍になった話
私が外でバリバリ仕事して、
家に帰ってきたら副業するスタイルになった我が家の現在。
主人は長女の習い事の送迎や、
次女の通院やリハビリに行ったりと忙しい毎日。
そんな中、自分のやりたいことにもどんどん挑戦しています。
最近は食事を作るのも主人の担当となり、
毎日美味しい夕食を作ってくれています。
毎日作った料理をSNSにアップして楽しんでいる主人の姿を見ると、
ああ、なんだか楽しそうだなって、私も嬉しくなります^^
ここだけの話、私も一番苦痛だった料理から解放されて幸せです。笑
長女は中学受験を頑張り、
行きたかった中学校へ進学することになりました。
長女にももちろん、自分のやりたいことを自由にやってほしいので、
全力で支えていきたいと思っています。
次女は相変わらずめちゃくちゃ可愛い笑顔で、
関わってくれる人みんなを幸せにしています。
(親バカです)
家庭内の空気も最悪で、
仕事がツラくてたまらなかった日々からは想像もできないほど
今は毎日が楽しくて、あっという間に過ぎてしまいます。
家族みんなで「美味しいね」って言いながら夕食を食べる。
そんな日常が幸せだなって思います。
(追記)そして私も会社員卒業へ
主人が仕事を辞めてからも、
私は副業でコンテンツビジネスに取り組みました。
学習して実践。検証してまた学習、そして実践。
それをひたすら繰り返しました。
一番最初に収益を出したのは、ココナラに出した代筆サービス。
その後メールマガジンをリリースし、
自分の商品を販売していきました。
最初にココナラで収益が出てから10ヶ月で
累計収益が100万円を突破。
そして今は、
目の前の相手の状況に合わせて声をかけたり、
その人に今必要なことを伝えることが得意という
私の強みを生かして、サポート業務を重点的におこなっています。
さらに自分でお金を稼ぐ力を付けたことで、
会社員も卒業しました。
子供達と向き合いながら、
自分の大好きな仕事を、大好きな自宅で思う存分やる。
そんな、私が望んだ通りの働き方を手に入れました。
そして主人も、再度自分の得意なことを見つめ直し、
「今までやっていた仕事が一番好きだし、得意だ」
という自分の強みを見つけ、
54歳という年齢で、今までの知識・スキルを活かせる
会社へ転職することができました。
今はとても楽しそうに仕事へ行っています。
私は今、最高に幸せです^^
最後に
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。
私は仕事を続けていきたいというお母さんたちに、
会社に雇われる以外にも収入を得る方法があること、
自分の強みを活かして、
ネットビジネスで収入を得る方法を伝えたりしています。
私は、会社員の安定した収入を得ながら、
副業でネットビジネスをして、自分で稼ぐ力を付けています。
会社員がツラくなったり、やっぱり子供と一緒にいたいと
思えば、ネットビジネスに専念することもできる。
会社員に専念しようと思えば、さらに年収アップでの
転職をすることもできます。
自分の強みを知って、活かし方を知っているから、
自分で働き方、生き方を選ぶことができるんです。
収入を得る選択肢が増えたことで、
私の人生の選択肢も増えました。
家族の人生の選択肢も増えました。
我慢ばかりだった人生から抜け出すことができました。
結婚や出産を機に昇進を諦めた。
やりがいのある仕事だったのに辞めてしまった。
自分が楽しいと思うことを我慢している。
でも本当は「仕事をすることが大好きだ」ってお母さんに、
大好きな仕事を諦めてほしくない。
母親でも、バリバリ仕事していい。
仕事大好きって言っていい。
だから、自分の強みを知って仕事の選択肢を増やし、
自由に力強く生きていけるようになってほしい。
そう思っています。
でも自分では自分のことが分からない、気付けないのも事実。
なので、私が徹底的にあなたをサポートします!
母親が稼ぎ頭だっていいじゃない。
ね^^
自分に自信を持って、カッコよく生きる女性を
とことん応援していきます!
無料のメールマガジンでは、
自分の得意を知って、強みに変える方法
自分の商品の作り方
ネットビジネスって具体的にどんなことしてるの?
ビジネスを本業に活かすor本業をビジネスに活かす方法
など、もっと詳しいことをお話ししています。
もし興味があったら、こちらから登録して読んでみてくださいね!

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