うちの次女は重度心身障害児



こんにちは、
みゆきです。


今日は、我が家の2人の娘の話をしてみたいと思います。


プロフィールにもちょっと書いているんですが、
私には2人子供がいます。


2人とも女の子です。


現在は中学2年生と小学3年生です。


どこにでもいるような平凡な家族ですが、
ちょっとだけ違うのは、次女がハンディキャップを抱えて
生まれてきたことでした。



今は、ハンディを抱えている次女との生活も普通で当たり前ですが、
やはりここまでにはたくさんの大変なことがありました。


我が家の事情ということで、ちょっと読んでもらえたらと思います。
話しやすいよう、口語体で書いていきますね。

生後4ヶ月目で訪れた衝撃



次女は、「孔脳症」という遺伝子異常の病気だ。


先天性の遺伝子異常だけれど、
妊娠中は、一切なんの問題もなし。
気になる点なんかも全く無くて。
ずっと順調順調と言われ続けた妊娠生活だった。



出産の際も、特にトラブルもなかった。
生まれてからすぐも、ちゃんと泣いたし、
ちゃんとミルクや母乳も飲んだ。




ちょっと変だなと思い始めたのは、生後2ヶ月目くらい。


抱っこしたりしていても、
私を見ることがあんまりないなぁと思ってた。


でもまだ2ヶ月だし。
まだ目もはっきり見えてるわけじゃないだろうから、
こんなもんかなって思ってた。


なかなか寝てくれない子で、いつもすごく泣いてた。
でも、赤ちゃんだから、こんなもんだろうって思ってた。


生後3ヶ月を過ぎても、目が合うことがなかった。
私をじっと見つめることもないし、私を見て笑うこともなかった。



さすがにおかしい。


私の胸はザワザワしていた。


3ヶ月になっても、まだ目があんまり見えないんだっけ?
上の子の時はどうだった?
さすがにこの時期には目が合ってたよね?


でも5年前のことで、あんまり覚えてないや・・・。



気になったので、近所の小児科に連れて行って診てもらった。


でも、


「特におかしいところはないよ。
まだ3ヶ月だから、もう少し様子を見てみて。」


と言われただけだった。



生後3ヶ月になっても、首が座ってなかった。

やっぱり目も合わないし、おもちゃを目で追うことも無い。


何かがおかしい。


何かあると思う。


私の胸のザワザワは、確信に変わっていた。




そこで、隣の市の腕が良いと評判の小児科へ連れて行った。


そこの先生は、少し次女を診察した後、頭をエコーで診始めた。


しばらくエコー画像を見ていた先生が言った一言。


「紹介状書くから、すぐに県立の大きな病院へ行きなさい。
 できるだけ早く。」




頭が真っ白になった。


やっぱり、何かあったんだ。
怖い。


どうしよう。


一気に現実じゃなくて、別の世界に行ったような感覚。


看護師さんと何を話したのかも、全然記憶にないし。



その日どうやって帰ったかもあんまり覚えていない。




それから数日後に、県立の大きな病院へ行った。


小児科では、やはりそんなに異常な部分は見当たらないと言われた。


でも、目が合わないことが気になるなら、眼科に紹介状書くから、
診てもらってもいいと思いますよ~。


みたいな軽いノリで言われて、同じ病院の眼科を受診することに。



色々と検査を受けて、診察室に呼ばれた。



話を始める先生の口が重い。


何かあったんだ。


すぐに分かった。



実は、お子さんは先天性白内障です。

 生まれつきの白内障で、水晶体が白く濁っているため、
 現在はほとんど目が見えていません。

 一刻も早く手術をして、白く濁った水晶体を取り除く必要があります。


 しかしこの病院では子供さんへの手術ができません。
 紹介状を書くので、大学病院へ行ってください。

 できるだけ早い方がいいので、明日行ってください。」


と言われた。




もう何がなんだか分からなかった。


先天性白内障??
なにそれ。


目が見えてないってなに?


まだこんなに小さいのに手術?


しかも目だよ?




分からないことだらけで、涙すら出てこなかった。



先天性白内障が分かってから、
それまでのんびりしていた小児科の先生が
慌てふためいてやってきた。


「これから色々な検査をします。」


と言われた。



血液検査、レントゲン、心臓のエコー、
MRI、耳の検査、脳波検査。


他にもあったかもしれないけど、
覚えてないぐらいたくさんの検査をした。


次女は、たくさん嫌なことをされて、泣いていた。


まだ赤ちゃんなのに、針を刺されたり、管を付けられたり。


どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


処置室の中から次女の泣き声が聞こえるたびに、
私も泣きそうになった。




次の日大学病院を受診し、
やはり間違いなく先天性白内障であると診断された。


すぐに手術が必要だからと言われ、
2週間後に手術を受けることが決まった。


急展開すぎて、色々な説明を聞くことに必死だった。



でもこの時は、眼科の先生から


「白内障の手術をすれば、
 目は見えるようになる可能性が高いですから。」


と言われていたので、この手術さえ乗り越えれば、
次女は普通に健康に生きていけるんだと思ってた。




だけど、その希望を打ち砕くような連絡が入る。



白内障の手術が終わった直後。


痛々しい姿で眠っている次女を抱っこしていた時だった。


県立の病院の小児科の先生から連絡があった。


MRI 検査で、脳の異常が見つかりました。
 退院したらまたこちらへ来てもらえますか。」


その一言を聞いた時、初めて涙が出た。



脳に異常ってなに。

なんで脳なの。

どうしてこの子がこんな目にあうの。




どこにもぶつけられない感情が溢れてきて、
次女を抱いたまま、ただ泣くことしかできなかった。


あれから7年。今の次女



脳に異常が見つかりました、と言われたあの当時は、
何が原因で先天性白内障になったのか、脳の異常が起きたのかが
分からなかった。


その後、染色体検査をしたけど異常なし。


遺伝子検査もしたけど、やはり異常なし。


もう原因不明のままかもしれない・・・と半ば諦めていた。



でも、てんかんの手術のために受診した県外の病院で、
意外な進展があった。



県外の病院の主治医の先生が、

「該当する可能性が高い遺伝子異常に
的を絞って検査をやってみませんか」

と言ってくれた。



地元の大学病院だけでは見つからなかった可能性だった。


結果として、その時実施した遺伝子検査で異常が見つかり、
次女は「孔脳症(COL4A1)」と診断された。


そして、その遺伝子異常が原因で、脳の異常や先天性白内障が
起きたのであろうということも分かった。



目の手術をしてからもうすぐ7年。



実は今でも、次女は目が見えていない。
光が分かっている程度。


最初の目の手術の後、さらに2回、目の手術をしている。


目自体は異常はないかもしれない。


だけど視神経が到達している脳が上手く機能していなくて、
見えていない可能性が高い。


首も座っていないし、もちろん自分で座ることも立つこともできない。


日常生活すべてにおいて介助が必要だ。


いわゆる重度心身障害児である。



毎食食事を食べさせるのに1時間かかる。


睡眠が不安定で、夜中の1時や2時に起きてしまうことや
なかなか寝てくれない日もたくさんある。


今でもこんな生活。



月に一度、大学病院への定期受診もあるし、
週に一度リハビリもある。



よくこんな状態で仕事をして、
さらには副業までやってきたな、と思う。



でもずっと必死だった。



この子ともっと向き合いたいと思って、
理想の生活を目指して仕事も副業も頑張ってきた。



次女のお世話は大変でしょって
言われるけど、正直そこまで大変とは思ってない。



そりゃ、もちろん大変なことはたくさんある。


移動はバギーという車いすに分類されるものに
乗せないと移動できないから、行けるところも限られる。


遠出もなかなかできなくなった。


福祉サービスも色々使って、たくさんの人に支えてもらっている。



だけど、私たち家族の中では、次女は生まれた時から変わらない。


私たちの生活の中に当たり前にいる。


だから、特に大変だという感覚はまったく無い。



むしろ、いつまでも赤ちゃんみたいな次女が可愛くてたまらない。


楽しい時はいっぱい笑って、嫌な時は全力で泣く。


そんな次女が可愛くてたまらない。



親バカ全開だけど。




すべてにおいて介助が必要な次女だけど、
その笑顔で周りの人を和ませていて。


行く先々でファンがたくさんできて、
本当に可愛がってもらっている。


本当にありがたい。


関わってくださる全ての人に感謝している。







と、ここまでが次女の今までの話でした。


すべてを詳しく書くと、かなり長くなってしまうので、
途中はかなり省略しています。



また機会があれば、今日書ききれなかったことは、
改めて詳しくブログに書いていこうかなとは思っています。



あなたも色々抱えながら頑張ってますよね。



私も、今よりももっと未来を良くしたいと思って
頑張っています。



子供達のため、自分のために、これからも
より頑張っていこう!と思っています^^

母親でも思いっきり仕事したい。母親が一家の大黒柱でもいい!

 

私は仕事が大好きです。
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でも、出産したら思い通りに働くことができなくなりました。

 

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